フライヤー発見!
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そん時のレポートもどーぞ♪
長編です!
BIG SKANK SPECIAL レポート
200人ほどしか収容できない小箱にリコがいる。前列にいれば、ピストンを打つ音も、息遣いも聞こえる。お馴染みのロールアップ・ジーンズ。デニムのワークジャケットの下には、お気に入りだという大阪の女子高生バンド「オレ スカバンド」のオフィシャルTシャツ? 胸文字の「オレ スカバカ」が誇らしげだ。くしゃくしゃの笑顔を振りまき、吹き、歌う。その姿はマイスターでもなければ、レジェンドでもない。「ただのトロンボーン吹きさ」とでも言いたげだった。「WHAT’S A TALKIN’ ABOUT?」。イエス・マン。
「リコが来日するみたいなんですが、ブンブンでやったらどう思います?」。2階のライフでエスプレッソのダブルを飲み干した午後の帰り際、社長の小野くんから聞かされたのはいつだったか。もちろん即答した。「やってほしいね、いや、やるべきでしょ」。もちろん収支など人ごとだった。しばらくして、ブッキングが決まったと聞かされて、また驚いた。ツアー初日だという。72歳という年齢を考えれば、元気に迎えるであろう初日に期待も膨らんだ。
ただし、姿を見るまでは心配だった。2年前のフィリス・ディロン、3年前のローエル・エイトキン…。直前で来日ができなくなった例が、申し訳ないが脳裏をかすめた。「体力的にライブ時間が短くなるかも」。当日の昼、スタッフの柴田くんからメールが入った。仕方がないよ。来日から1週間、リハはもちろん、レコーディングまでしていたんだから。前日は恵比寿ガーデンで前夜祭? ツアー前に有料で? 「骨までしゃぶる気なのかね」。正直いい気持ちはしなかった。
オープニングアクトはPAPA U-Gee。いつにも増して背筋が伸びている。クールでルーディーな雰囲気がプンプン。昨年のブンブンのカウントダウンでクールワイズメン(CWM)をバックに初披露したMONKEY MANアレンジの「焼津港」などで温めてくれた。リコの登場までつなぎの単独ライブに入ったCWMのトランペッター浜ちゃんが言った。「リコが出てくるまで、あと2曲やらせてください」。ドキドキしながら待った2曲目の途中、ステージわきのクルーから、「あと1曲やってくれ」のサイン。リコ、大丈夫かな? 短くてもいい、贅沢は言わないよ、無理しないでね。いろんな思いが心の中を行き交った。
リコの登場は、本当にさりげなかった。「ウェルカム・フロム・ワレイカ」の掛け声に振り返り、微笑んだ。1時間が過ぎても、リコはご機嫌だった。マネージャーが肩をたたいて終わらせようとも、完全無視の構え。「まだまだ、やるぞ。わしは」。大阪、名古屋、東京を控え、地方都市の小さくも、近い空間。「WONDERFUL WORLD」(95年)のジャケットカバーで抱えていた米国「KING」製のトロンボ-ンを操り、CWMを引率しての2時間近いライブ。メンバー渾身のソロに笑顔で拍手を送り、自らのソロにかぶるタイミングを指示し、ついメンバーが勢い余れば「LOW! LOW!」とすかさず注意した。
リコを初めて見たのは1980年6月、スペシャルズの来日。スキャタライツも知らなかった青二才だった。新宿厚生年金会館のステージは、あっという間に観客のダンスで埋め尽くされた。ジェリー・ダマーズやテリー・ホール、ネヴィル・ステイプルスはPAアンプに上がり、「市松模様」に埋まったステージにリコは隠れて見えなくなった。盟友トランペッターで「MAN FROM WAREIKA」エンジニアのディック・カセルとともに、アドリブはおろか、ろくにリフも吹かずに終わったステージに不満を覚えた。2日後、同じ会場でいまや伝説となったJ ガイルズバンドの、アンコール6回を見たのとは大違いだった。
84年、仲間から「裏切り者」と呼ばれながら、サラリーマンとなった。自分を押し殺すことにも慣れた10年後、ドイツから届いたRICO&HIS BANDのライブ盤に身を委ねることが解放だった。何という愛に溢れたステージ。嬉しそうな観客の調子外れなコーラス。こんなステージが見たいと、羨ましくさえ思った。翌年届いたアルバムで、ワンダフル・ワールドやオーバー・ザ・レインボー、スターダスト・メロディーを歌ってくれても、水で薄められたような企画物臭さに「何もリコでなくてもいいのに」と斜に構えていた。2002年のフジロックで初めて自分のバンドで来日すると知っても「1万人で見るものでもないだろう」と呆れ、同じ日のスキャタライツに1曲目から参加したと聞かされても「ドン・ドラモンドもジャキー・ミットゥーもいない。ダイアナ・ロスがいないシュープリームス、デビッド・ラフィンがいないテンプスじゃあるまいし…」と強がっていた。
あの夜、ブンブンで不覚にも流した涙は、感涙なのか痛涙なのか、いまだに整理がつかない。ロングトーンを期待しても仕方がない。時にフラットになっても不思議ではない。かといって、「いるだけで」と有難く思うには、いくらか年を取りすぎた。思い入れがあるのか、ないのか。リコが帰国した今でも、自問自答は続く。キューバにルーツを持つリコは、80年の来日インタビューで「ラテンのリズムパターンは外さない」と語っている。ドラマーがスネアのふちで刻むシンコペートと、ギターとベースの緩やかなリズム。その絶妙な揺れに絡むホーンズとキーボード。自分にとってリコの魅力はアンサンブルであり、ジャズ、ブルーズ、R&B、ラテン、ブーガルーすべてを内包し、カリブという調味料をまぶした混血ぶりだった。
悪ガキを遊ばせるかのようだったスペシャルズ公演から26年。「CWMよ、付いておいで。いいフィーリングはちゃんと褒めてあげるから」。好々爺のリコは、まるで塾長だった。一音一音の温かさは、純度の高い「人好き、音好き、現場好き」に満ちあふれ、優しくも力強かった。ライブ後、関係者通路を兼ねた控え室から帰ろうとせず、人影まばらなフロアに流れる音楽をつまみにワインを口にしていたという。50年代ジャマイカのボールルーム・パーティーや、60年代以降移り住んだロンドンやベルリンのパブ・サーキット。ステージと客で織り成すローカルライブの楽しい日々を重ね思っていたのかもしれない。
「偉大」だとか、「夢のような時間」だとか、言葉軽く振り返りたくはない。込められた歴史を抜きにして、ステージに上がる者の姿勢として、ごく自然で当たり前のことだったと思う。スペシャルズ来日の時、リコは46歳。そして、今まさに、自分も同じ年。ステージでリコが発した「LOVE IN THE HOUSE!」が耳から離れない。機会を逸したとはいえ、個人的にお会いできなかったことが、今では良かったとすら思う。だからこそ、冷静でいられる。今でもトロンボーン・ケースは、ドン・ドラモンドから譲り受けたというワニ皮のケースなのだろうか。「YOU MUST BE CRAZY!」。ありがとう。お元気で。 (レコ馬鹿道場@いちや)
















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